ソーシャルは現代社会のご近所づきあい!?-SNSを通じて市長が腎臓提供、移植手術が必要な男性の嘆願にすぐ呼応。 | Narinari.com

35歳の女性ながら首長のポストに就いたカポネ・アルモン市長は、1,600人以上のフレンドを持つほどFacebookを活用。その1人だったサンチェスさんの更新に気が付くと、「理由はわからないけど、最初から提供者になるように感じ」(ワシントン・ポスト紙より)、すぐにコンタクトを取ったそうだ。このとき、2期目の当選に向けて選挙運動中だったそうだが、誰にも知らせぬまま予定を縫うように数回の検査を実施。その結果、市長の“読み”は当たり、提供者として適合の判定が下った。

その後選挙にも見事当選したアルモン市長は、サンチェスさんと4月8日に手術を受け、無事腎臓が移植された。市長には感謝の気持ちでいっぱいだというサンチェスさん。一方の市長は1週間未満で退院、すでに公務に復帰し「何も特別なことはない。誰でもこのようなことはできる」(ワシントン・ポスト紙より)とさらりと語っている。

 メインのブログにもときどき書くのだけれど、まずは「自分を知ってもらう」ことからいろいろなことはスタートする気がします。
 すごく当たり前のことだけど、私自身「セルフブランディングって何?」って悩んでいた時期もあり、今、あまり「自分を知ってもらう」活動が出来ていないので、偉そうなことは言えません。

 ソーシャルは「自分を知ってもらう」ことができるツール、そして人とつながれるツールだということを実感します。

 また「田舎暮らし」話しになってしまいますが、「ご近所の力」というのが素晴らしいと田舎暮らしをしている方々言っていたのを思い出します。都会では自分を偽って創り上げていたけれど、田舎暮らしではご近所の目があって、自分を偽ることができない。

 何となくソーシャルは現代社会のご近所づきあい、そんな気がします。まだまだこうしたことが「記事」や「ニュース」になってしまうほど、SNSの活用はされていないけれど、こうしたことが普通になるのも、そう先のことではないかもしれませんね。

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Business Media 誠:ちきりんの“社会派”で行こう!:大都市に“変わった人”が多いワケ (3/3)

大都市では「自分であること」が問われる

 ただ、自由度の高い大都市で暮らす人は「自分であること」を問われます。上から与えられる規範がないため、「あなたは何者なのか?」と問われるのです。「私は大学生だからこんな感じ」「サラリーマンだからこういう生活」という規範があれば、自由度はありませんが、選択する必要もありません。しかし、自由度が高ければ、それぞれが自分で自分のスタイルを選ぶ必要が出てきます。

 留学時代、アメリカの「個人主義」がすごく楽!と感じることが多くありました。ってことは東京生まれ東京育ちの私も、それなりの「不自由」を感じていたんだと思います。

 それでも「地方」に比べれば、東京は「自由度」が高いんですね。

 仕事で「田舎暮らし」などについて考えることがここ数週間あるのですが、その「自由度」が高いはずの東京に閉塞感を覚える人たちが急増しています。

 自由度が高く、自分であることが問われるからこそ、「自分」というものを偽ってまで作り上げてしまって、自分ではいられなくなるのではないでしょうか。

 それでも「面白い」人がたくさんいる、「個性的な人」がたくさんいる、そしてそれが受け入れられる東京というおもしろさをもっと楽しみつつ、でもそれが「田舎」に流出していっているのかもしれないなとも感じています。過渡期ですね。

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